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2008 3月2日 ボディビルディング
(以下は2006年に作成したものでTOPページメニューから移動したものです。)
これまでいくつかのスポーツ経験があるのですが、最も熱中し、青春のすべてをかけたのがボディビルディング。今思えばボディービルディングの素質もないのにの、よくあれだけの時間とお金をさいて集中したものです。
でも、決して無駄な経験ではなかった。むしろ、学ぶことが多かった。
トレーニングそのものが好きだった。工芸職人のごとく地道にこつこつと体を作り上げていく。自分なりに創意工夫しながら一グラムでも筋肉がバランスよくつくか、芸術家のようにすごす過程が好きでした。誰に誇るわけでもない、トレーニング中の充実感、打ち込んでいる者なら分かるはず。
ボディービルディングは激しいスポーツでもある。健康のためのトレーニング強度であればその目的を達成することもできますが、コンテストビルダーとなると趣が違ってくる。
ヘビーデューティーなトレーニングを続けていると筋肉・腱・靱帯・脊柱などにかなりのダメージを与える。見た目は筋肉隆々でもそうなるととても健康的とはいえない体になる。
でもそれは、ほかのプロスポーツ選手でも同じこと。自分の限界まで究極に鍛錬し勝負に挑む。選手たちは身体の予防と怪我の狭間で常にせめぎあいの中にいる。試合とは別のもうひとつの見えないドラマがある。
今年も夏が近ずいている。コンテストシーズンだ。歯を食いしばり、うめき声を上げながら、日に焼けた黒光りする体をまとい、減量しながら殺気立っているビルダーの姿が目に浮かぶ。
一般の人間からすると、ビルダーはナルシストで気持ち悪いと言う評価が多いが、その体を作り上げるまでの過程を最も理解して欲しい。激しく限界までトレーニングに集中しているビルダーの姿は畏敬の念さえ持て、美しささえ感じる。
結果よりも過程が大切なのだ。勝利はおまけのようなものだ。そして、トレーニングを通して人間性が成熟していく人も中にはいる。体を鍛えているようで実は心を豊かにしている。このような人が増えれば世間のビルダーに対する印象が良くなるだろう。
やっぱりこの人に会えてよかったと思える人のところに人は集まるもの。
現在自分の身体上の都合により、トレーニングできないのですが、これまで関わってきたマッサージや治療の世界も長い闘病中の今必死に生きようとしていることもボディビルディングと言えまいか。無理のあるこじつけだろうか。ボディビルディングとは訳せば体作り。だが私は身体を通しての心の修養だと思っている。一生ボディービルディングの道を歩んでいこう。
心と体に興味を持ったきっかけは15歳の時。当時、陸上部に所属しており補強としてはじめたウエートトレーニング。がんばった分だけ自分の体が日増しに変化していく面白さに夢中になってしまいました。
いつしか陸上部の活動が補強でウェートトレーニングがメインの日々に移り変わったほどです。当時まったく世に知られていなかったプロテインパウダー(私は漫画一・二の三四郎を読んで影響を受けました。ほとんどの方が分からないでしょうね)を誰もいない昼休みの部室で口の周りに粉をちょっぴりつけながら飲むのが密かな楽しみであり、幼い優越感でもありました。
さらにトレーニング熱が高じて学校から走って20分ぐらいの場所にあったボディービル専門のジム入会してしまいました。部活の仲間には黙って秘密練習の開始。
そこは子供の私にとって別世界でした。当時はやっていた漫画(また漫画の話で申し訳ないです)北斗の拳・シェイプアップ乱の登場人物の実写版のような筋肉の大人の方たちがジム内にひしめいており、それまで味わっ
たことない独特の空気感・怖さと憧れ・尊敬の眼差しで見入ってしまいました。
入会して少々慣れてくると会員の方と一緒にハードトレーニングさせていただいたことで気持ちが通じ合い戦友の様な 気持ちになり、お話をする機会が増えました。とても自分が大人になったような気持ちになったものです。
高校を卒業するとボディビル熱にさらに拍車がかかりせっかく一浪して入学した大学を中退して,とにかく25歳までは自分のすべてをボディービルディングに
かけようと思ったのであります。
某都市にあった スポーツクラブのインストラクターとして勤務しながら初めて出場した大会に入賞してしまい、自分には才能があるのだと有頂天になってしまいました。
ところが、1年・2年・3年と続けていくうちに、それは大きな誤解だったことに気づかされます。他のスポーツ・芸術・学問の分野と同じく才能のあるものと凡人とでは力量の差がはっきりと冷酷なぐらいまで出るのがボディビルディングだったのです。
やがて心に決めていた25歳という期日が来ました。15歳でトレーニングをはじめてから10年目のことです。
トレーニングそのものは充実感があり大好きでしたがコンテストビィルダーとしての自分には決別しました。
ビィルダーを続けながらもこれから次に何をして生きていけばよいのか模索は続けていました。
「私がマッサージ師になった経緯」
ボディビルディングに熱中して15歳より独学ではありましたが栄養学・生理学・解剖学などを学んできましたからやっぱり体にかかわる仕事がしたい。医療関係に進もうと決心したのです。当初はPT(理学療法士)を目指していました。まさに、これまでの知識が生かせる。受験1年目は筆記試験は通過したものの、面接で不合格。そして浪人中、変わった治療師との出会いがありました。その方は、医学部を明確な意思を持って中退後、独自で代替医療・現代医学の統合を目指していました。今思えば統合というのは途方もない志であり、2008年現在に置いて世界的に見ても、現代医学と代替医療の併用にとどまっています。お話を聞いているうちに代替医療って面白そうだなと感化されてしまいました。「鍼灸も素晴らしいけど、カイロ・オステオパシーなどの手技療法で脊柱や関節の調整をこなせるようになれば現代医学の注射器を持っているのと同等だよ」といわれました。そしてPTから方向転換。単純です。
その後、厚生労働大臣認可校で手技療法に多くの授業時間を割くマッサージの専門学校に入学。マッサージ・治療家の世界に入りこの道で食べていくのだと意気込んでいましたから、接骨院・マッサージのお店で経験をつみ貪欲に技術習得に専念しました。評判の治療院、施術家の噂を聞きつけては、患者として訪ね歩きまわり給料のほとんどを医療に関わる書籍に費やしました。
さらに心と身体への探究心が深まっていったのです。
2008 3月3日 私的ボディビルダー考
(以下は2006年に作成したものでTOPページメニューから移動したものです。)
私の青春期はボディビルディングに捧げました。バーベルに一切触れること
ない今でも、それへの思いは胸の奥深い所に大切に置かれています。
そこで個人的なボディビルへの考えをここに残したいと思います。
最近弟から送られたCDの中のサラ・ブライトマン:
「Time to say goodbye」を聞いていた時、
この曲で”あるビルダー”が躍動する様を見てみたいと思ったのです。
映像で共にいる男性は盲目のイタリア人天才テナー歌手アンドレア・ボッチ
ェリです。私は初めて知りました。それを念頭に置き見返すと2人の動作・表
現力が最初と異なって見えました。
最近のボディビル事情は全く詳しくないのですが、おそらく、この名曲は多くのビルダーに使われ、手垢のついている選曲かもしれません。ポージング用にはメリハリの付けにくく、盛り上がりに欠ける曲かもしれません。
”あるビルダー”は私とほぼ同年代で、この世界の選手としてはまだまだ若く、”ワイルド”・”ワル”・”ヤンチャ”の風情を漂わせています。そんな人に合う曲かなとも考え直したのですが。
でも、何か"人生"を。"いい意味で枯れた味わい"を。ほんの少し垣間見せてもよい年齢と技量に来たのではないかと感じるのです。(ラジオでバイオリニストの葉加瀬太郎さんが”そうじゃないんだ”と強く仰っていました。第一線で活躍している方の目線なので、現実味があり面白いと感興をそそりました。これを元に新たに自分の考えを展開して推敲します。)
競技生活途上での交通事故による足の大怪我と頚椎か胸椎の障害。学生時代体操の練習中に痛めた頚椎。それに加え恐らく長年のトレーニングにより椎間円板がややつぶれて、椎間が狭くなり頚椎から出ていいる神経をひどく圧迫しているのかもしれません。パワーリフター世界チャンピオン三土手選手も腰椎の椎間円板が見事に潰れているという記事を目にした記憶があります。
ちなみに、かつて3流ビルダーだった私も一流選手ほどでないにせよ同症状が後遺症として残っています。
この、障害さえなければ、適切な高重量でのトレーニングを継続できバルク(筋肉の量)的にはかなりの発達していたことは間違いありません。ご本人も”この怪我さえなければ・・・”と一瞬でも頭によぎったのではないかと思うのです。
決して順風満帆ではない道のり。むしろ、万全でない体で尚、諦めずトレーニング自体している事がスゴイ。怪我に負担をかけない工夫を凝らし美を損ねない筋発達を一心に目指している。そうして、災い転じて、彼ならではのトレーニング法を編み出しているようです。 ”体を壊さず大好きなウェートトレーニングを生涯できる方法”を将来さらに確立・体系化し一般人にも普及していただきたいものです。
私はほぼ素人で不十分なことを承知であえて述べたいのですが、ビルダーはスポーツ選手ではなく”表現者”だと考えます。
スポーツ選手。特にプロは勝ってこそ存在価値がある。それで生活しているのだから。その他、諸々の後援者の金銭的しがらみなどの理由も絡め。あるアメリカ帰りの帰国子女DJがラジオで話していた。アメリカのスポーツファンや特にメディアは勝者を尊び、敗者には完膚なきまでこき下ろすと言う。負けてお前よくやったよなんていわないよ。それが、負けたものに今度こそはと心に点火し技量を向上させる。結果的に観客も楽しめる。まことに正論。
でも、それをあえて超越する人が出てきて欲しい。
勝者のみが持ち上げられるなら、この世の9割に属する我ら凡人の落胆は深まる。(競争は悪だ。全てにおいてみんな仲良く平等に。と言っているのではありません。この部分は折を見て、上手く微妙な伝達ができるよう加筆してゆきます。)
見ているものに希望と慰めを我らに与えてくれるビルダー(表現者)はいないのか。チャンピオンになるより遥かにすごい。と思うのだが。
歴代日本のビルダーにも驚異的な筋量の選手・ポージングの妙手はあまたいる。今後も出現するであろう。
しかし、一過性の心の興奮や感動ではなく、いつまでも魂の奥深いところをグラッグラッと揺さぶリ続ける者は見たことがない。素質ある者にはこの難題を超えることを切望してしまう。
これは誰もが出来ることではない。選ばれた者のみのおごりなき役目のような気がする。
現段階でもどんな派手な曲やポージングの最中でも”あるビルダー”に感動させてやろうという感情は舞台上にある時に限っては、完全に消失しているではないか。
また、こちらもそのような欲望を見せ付けられると冷めてしまう。
ただ一心に集中し、旋律と心体が同化してゆく様を共有すれば、心のこもった歌・絵画・文章に触れるように、見るでもなく、聞くでもなく、やがて五感以外の機能が働きだし深く味わうことが出来る。結局「言葉に出来ない」「なにかわからないけど涙が出る」に行き着いてしまうのだろうか。
ボディービルコンテスト会場の一般人にはとてもなじめない独特のアクのある雰囲気の中で、今までにない境地を開花させ、どうか場内に芳香を放っていただきたい。
その時がきたら、私は会場に行きます。 |
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